アベノハルカスの展望スペースから見える景色。一昨年のクリスマスの思い出です。
25年前の1月17日早朝、阪神淡路大震災がありました。
人生で初めて最初から開発に加わったマシンの出荷を控え、慌ただしい日々を送っていました。
寮住まいでテレビを持っていなかったので、出社するまでは普通の朝でした。
席に着くと、周囲はこれまで見たことが無いほど殺気立っていて、事務所のテレビには瓦礫の山が映っていました。
マシンの製造工場は神戸。工場は被災し、担当さんの無事が確認されるまでに3日の時間が必要でした。
記憶にあるのは、テレビの画面で見た『境界線』。
道路1本を境目に、今まで通りの景色と瓦礫の山が並んでいたこと。
境界線のあちら側とこちら側、どちらに居たかで生き死にが変わる事。
ジブンはたまたまこちら側にいただけ。
この幸運を忘れてはいけない。
次に境界線と向き合うときに後悔しないよう、全力で生きなければ…と思っていたことを。